以下の文章を読む人は、今から言う口座に3125円払ってから読んでください。

おっとなんかポジティブな思考になりそうだった。

現実逃避していた原因のひとつとして、「ソフトウェア産業がいかに詐欺か」みたいな思考があったのだが、そこらへんをはっきりさせないでポジティブな思考をしてるとまた気分的な波的現象の原因になってしまうのでよくない。
あれ?なんでそう考えたんだっけ…ちゃんと書いておけばよかったな。

覚えてる範囲で書いておこう。
ソフトウェア産業がいかに詐欺か」という思考をしてしまう原因として、僕個人がもう欲しいソフトウェアなんか無い、というのがあるので、なかなか客観的な思考ができないんだが、それについては、まあ、僕はもはや農家になるしか道が残されておらず、スローライフスローライフ。なんの話?


上の一文は忘れるとして、単価が(ピー)万だとする、そもそも、全てを忘れてピュアな心で考えて欲しいのだが、社会人になって初めて「単価は(ピー)万円DESU」とか言われたときに、「この世界は狂ってる」とか考えなかっただろうか?ソフトウェアは知っているが、ソフトウェア産業は知らないという状態で、単価を見れば、それはトチ狂ってる、前の会社では、「月1000行ぐらい書けるとよい」と言われて、「そんなアホな」と思って、実際計測すると、そのぐらいで泣きそうになり、まあ、今の会社は前よりも無駄な作業が少ないので、それよりは多いと思うが(一回ちゃんと計測したほうがいい)、まあ、多分一万はいっておらず、そう考えると、コード一行あたり、(ピー)円ぐらいになって、まともに考えて僕のコードがそれほどの価値があるとは思えないんだが。

上の一文も、最後が主観評価なので全然ダメ。まあ、ようするに僕の言葉では、「ソフトウェア産業がいかに詐欺か」は説明できないと思う。


うーん、そうか、だから、個人の金と社会で動く金の桁が違う理由が説明できないからよくない気がするな。
単価x12ヶ月で一年分が(ピー)円になるのだが、これは明らかに僕が会社とは関係無い場所で一年で動かす金の量とは桁が違うわけであり、そして、これはおそらくソフトウェア産業に限らない話だと思うのだが、なんでそれで社会がうまくまわるのか説明できるようになると、ソフトウェア産業は詐欺ではない、と胸を張って言えるようになるかもしれないな。


だがしかし、それでも純粋に社会を忘れたときに、「あなたのニーズを分析した結果、あなたにはこのプログラムが必要だということがわかりました。このプログラムX00百万円です。しかもまだ完成してません。あと2年で作ります」とか面と向かって言われたときにブチ切れないことが可能だろうか。
そもそもX00百万円とかいう表現がわかりにくいのでそれでブチ切れてしまう可能性がある。


ハードウェアは、個人では作れないから、個人の金と企業の金の桁が変わるのが納得できるが、ソフトウェアは個人で作れるものと企業で作れるものの規模がそんなに変わんないのに、桁が違うから詐欺だと認識してしまう、というのはありそうだな。

ここで、ソフトウェアで個人で作れるものと企業で作れるものの規模が同じだというのはあくまで仕様が決まっていればの話で、仕様を作る状況を考えたときに個人と企業で同じものが作れるとは思えず、そこだけは企業のほうが品質が桁違いだというのが可能性としてあって、だから、金額の桁が違うというのがあるかもしれん。
そう考えるとソフトウェア産業の価値は仕様を作る部分にあると言えて、ソフトウェア産業の真の価値はコンサル部分にあると言えたりして、まあ、なんとなくそこらへんに詐欺ではないと主張できる仕組みがあるんかもしれぬ。

つっても、僕はコンサルなんかに1日(ピー)十万円も払う人間の心理は一生理解できないだろうから、そう考えると僕がソフトウェア産業は詐欺ではないと胸を張っていられる日は一生来ないのかもしれないな。


おっと、調子にのってふざけたテキストを1600文字も書いてしまった。この文章は30分ほどかかっており、俺の単価を100万、一日8時間労働の月20日だとすると、上の文章は、3125円、一文字あたりは2円ほどになるのであった。
というわけで、これを読んだ人は今から言う口座に3125円払ってください。