ものごと説明するときに言語化できないという失態を犯してしまったのでちゃんと書いておこう。


アレ(つっても何のことかは読んでる人はわからんだろうけど)はよーするになにが言いたかったかというと、ある問題が発生していると認識したときに、その問題を抽象化して解決しようとしてはいけない、ということだ。
例えば、「社内で問題を共有できないから、マネジメントを強化しよう」とかいったような感じのをやってはいけない、社内で問題が共有できないという問題を認識したなら、「社内で問題が共有できない場合にどうすればよいか」のみを考えるべきである、というような。


すぐ思い付く理由は以下2点。

  • 問題なんて多少の抽象化でカバーできるものではない
  • 問題をうやむやにしてしまうのはよくない

まず、カバーできない点。
「問題」とか「不具合」というのがどこからやってくるか、というと、予測できないところからやってくるから問題なのであって、多少の抽象化では意味が無い。問題を抽象化して意味があると考えるのは、「自分ならたくさんの問題を予測できる」という神をも恐れぬネ申である。
(いや、必要な場面もあるかもしれん…もうちょっと考えたほうがいい)


次に問題をうやむやにするのがよくない、という点。
問題課題不具合を確実に解決するには、その問題について、認識したあと調査、修正、そして効果があったかどうかを計測する必要がある。
しかし、問題を抽象化してしまうと、「認識」「調査」「計測」を具体的にやる方法が無く、つまり、問題を確実に解決できない、ということである。

問題を解決するには、全員がその問題について一貫した認識を持っている必要があると思うのだが、問題を抽象化した場合にそんなことが可能なのか、という感じである。


問題は修正すれば直るというものではなく、「認識」「調査」「計測」というステップも重要な問題解決の一部である。「見える化」とかいう酷い日本語があることからもわかるように、僕の日本語もかなり酷い。


というわけで、抽象化した問題解決をやりたいというのならば、まず認識している具体的な問題を確実に潰したあとにやるべきである。
この順番は逆になってはいけない。何故なら、そこまで根気の続く人はあまりいないからだ。