自分の事業が買収されるのが許せない理由

ちゃんと文章にしておくという課題があったのでしておく。
どうやって10億稼ぐか、みたいな話をしていて、Googleに買収されるのが手っ取り早いよ、とか言われたのだが、僕はそれが許せないみたいなことを言ったら、ちゃんと説明しろと言われた的な課題。

仮定自体が、仮定の上に妄想と想像と仮定を詰み重ねたみたいな話だが、そこらへんは忘れていただきたい。


許せない背景としては、思想的な部分と、実際的な部分があるのだが、思想的な部分として、G社に買われるというのが嫌だというのがある。
というのは、G社の金は広告で儲けた金だからというのがあって、ソフトウェアを売る場合、ハードウェアのオマケになるとか、広告で稼ぐとかは個人的には敗北だと思ってるので、それで許せない。

じゃあ、G社以外なら良いか、というと、どうだろうか…売却したあとの事業をちゃんとソフトウェアで儲ける仕組みに組み込んでもらうならよいという気がする。


あと、ここで、金を稼ぐには、思想とか趣味とか夢とか目標とかを捨てるべきだというのがある。
世の中事業が失敗する理由の10割は、金を稼ぐことと道楽と社会貢献を同時にやろうとするという点にあり、趣味とか慈善事業とかをやりたかったら、ひとり当たり2億稼いでからやるべきである。


さて、そう考えると、色々と思想を捨てて、G社に買収されることを目指して事業を作るべきだという気がしてくるが、
まあ、無理だろうな。
買収される事業を考えるのが無理な実際的な理由として、金持ちの道楽は理解できないというのがある。


G社に買収された事業を考えると、例えば、YouTubeとかが有名だが、G社がああいう謎ビデオプレイヤーを買収した理由が全くわからないというのがあって、
いや、ひょっとしたら道楽ではなくて、世界中の動画情報を整理し、世界中の人々が動画アクセスできて使えるようにするためには…という使命を感じてやってるのかもしれんが…どっちにしても全く理解できないことに変わりは無い。

そういうように金持ちの考える道楽とか壮大な構想とかは想像の範囲外なので、厳しいというような感じ。



と、思ったが、世の中の大抵の人は僕と同じように壮大な構想を具体的にすることなんてできないから、むしろ壮大な構想のほうがニッチ産業になっているとも言えて、そういう方向を狙うのもアリかもしれない。

  • 世界で一番人に優しいインターフェースを目指します
  • 宇宙中の人に愛を届ける仕組みを作ります

ただのイタい人であった。
あと俺に愛を届ける仕組みが欲しい。