生きてる価値が無い
最近エンディアンに悩まされることが多いな…
超どうでもいいが、僕はリトルエンディアン派である。
ビッグエンディアンのメリットが人類の習慣に近いというのに対して、リトルエンディアンのメリットは、バイト幅の拡張、縮小が自然になる、という感じに、宇宙の真理(何?)に近いのである。
なんか不自然さを感じさせるビッグエンディアンの例を上げておくと、Cell/B.E.のSPEのプリファードスロットのバイト並びとかはキモくて死にそうである。
人類の習慣をリトルエンディアンにあわせることができれば、ビッグエンディアンは存在している価値が無いということを考えると、無駄を省くために、人類の習慣をリトルエンディアンに変更すべきである。
具体的にいうと、数字を書くときは、上位桁を右に書く。たとえば、100万円は、
000,000,1円
と書く。
これは非常に合理的である。例えば、これを書いた紙に、なんらかの事情で、1000万円を書かないといけなくなった場合、(借金が雪だるまになった時とか)
000,000,1円 000,000,01円
このように下の行に追加するだけで、見やすく書ける。しかし、ビッグエンディアン表記だった場合、
1,000,000円 10,000,000円
と書くか、一旦書いた文字を消して、
↓スペースを空ける!! 1,000,000円 10,000,000円
と、書きなおさないといけない。こういうのが快感になってくると、Excelの右揃えボタンを押すのが楽しくなってきたり、数字を入れると勝手に右揃えになってしまうExcelに対して憎悪の感情を燃やすことになるのである。
というわけで、リトルエンディアン表記は人類にとっても優しいはずなのである。
と、思ったが、数字の場合は大体、上位桁のほうが重要なので、やっぱり上位桁を先に書くべきだと思った。
いや、人類の習慣をリトルエンディアンに揃えるのだ。つまり、文の最初は重要では無いから読み飛ばす、後になればなるほど感情を昂らせて、そのカタルシスを一気に最上位桁へ向けて放出、いざ、クライマックスへと向かった先で君が見るものは果たして何なのだろうか!?
例えば、僕の文章は、結論が何なのか最初にわからないという理系失格の文章なのだが、これは、人類の習慣をリトルエンディアンに近づけるための、小さな努力であることをどうか、知っておいてほしい。
と、思ったが、この文章はクライマックスも無いのでリトルエンディアニストとしても失格な文章なのであった。
まあ、どうでもいい思考をしておくと、コンピュータはリトルエンディアンで都合が良くて、人類はビッグエンディアンで都合が良いという違いは、人類にとっては、最上位桁が重要なのに対して、コンピュータの演算の場合は、最下位桁に一番依存する、つまり、みんなが見てる=重要である、という違いから来るのだろうか、とか考えると、大した結論の出ない無駄な時間を過ごすことが可能である。
しかし生きてる価値が無い。