まあ、Adaはもうちょっと見てみたい気がするので、どっかでさりげなく続けます。

rubycoの人は、勉強したことを記録していくとよいって言ってたけど、僕の場合は全然そんなことなかったな。記録することの利点は、「自分がわかったつもりだったけど、わかってなかったところがわかる」という部分にあると思うのだけど、その利点はどうでもいい感じが。
結局のところ、(あんまり理論のほうにかたよってないプラクティカルなほうの)勉強という行為は知識のリンクをつくるだけであって、細かいとこまで理解してるかどうかなんてどうでもいいんだよな。わからんかったら、必要なときに調べればいいんだし。
そんなことよりも、テンポのほうが大事で、まあ、例えば、20日もやって配列型を理解してないのかよみたいな。


まあ、そこらへんは人によるんだろうけど。(「人による」っていう結論は、つまり情報量0なんだが。)